「共通一次世代」は教育をどう語るのか

「共通一次世代」は教育をどう語るのか

高等教育システムを中心に共通一次世代の時期の教育が現在どのように変貌し、どのような問題を生み出しているのか、あるいは良くなった面はあるのかについて考察。

  • 著者
  • 山内乾史
  • 出版社
  • ミネルヴァ書房
  • 出版年月
  • 2011年04月
  • ISBN
  • 9784623060542

本書は、純粋な意味での研究書ではありませんが、エッセイ集でもありません。極めてあいまいな性格の書物ですが、近年私が書き飛ばしてきた論考を集めて、補綴作業を行ったものです。

近年、若者の就労だけではなく、そのライフコース自体が問題になっています。若者のライフコースの典型的なイメージといえば、先行きの全く見えない「道なき道」を行く人々というイメージでしょう。昨年末にあった「派遣切り」など、もちろん好ましくない状況には違いありません。しかし、起こりえることではあったわけです。とはいえ、現実に、あれほど大量の派遣切りが一斉に行われるという状況をどれほどの人が想定していたでしょうか。先の読めない不安感、不安定感を多くの若者が持っているように思います。

さて、現在40歳以上の世代、つまりバブル崩壊前に就職した世代は、逆に「誰かによって敷かれたレールの上」をひたすら走る世代であるかのように言われることが多かったように思います。第1章で言及するように、日本のパンクロッカーたちはその点を攻撃したわけです。誰かの価値観にのっとって敷かれたレールの上をひたすら歩むだけでいいのか、お前たち本当に自分のやりたいことはないのか、というわけです。レールを外れる若者も確かにおりました。あえて不安定な状況に自らを追い込む若者も確かにおりました。しかし、それはあくまでも少数で、多くは敷かれたレールの上を走っていたのではないでしょうか。

問題は今、その敷かれたレールが取っ払われようとしていることです。年功序列、終身雇用といった制度が急速に改変され始め、また人々の雇用形態も急速に変わり始めています。でも、50歳以上の世代にとっては、何とか旧制度の残滓がある間にレールを走って「逃げ切る」こともできるでしょう。しかし先の長い40歳代の人間には、とても逃げ切るだけの時間的ゆとりはありません。走ったあとから次々とレールが取っ払われていく。そして順調にレールの上を走ってきたのに、ふと足元を見るとレールがなくなっているということになりかねない。いや、確実になる。こういう状況にあると思います。

このような観点から本書では高等教育システムを中心に共通一次世代の時期の教育が現在どのように変貌し、どのような問題を生み出しているのか、あるいは良くなった面はあるのかについて考察しています。

本書について率直なご意見、ご批判をお寄せいただければ幸いです。

大学教育推進機構/大学院国際協力研究科教授・山内乾史


目次

  • 第1章 1960年代生まれは偉かったのか―共通一次試験とパンク・ロック
    • 1 共通一次世代とは何か―シラケ・新人類と呼ばれて
    • 2 私の進路選択
  • 第2章 大学院とは何をするところか―「教育過剰論」再考
    • 1 はじめに―大学院にかかわる私的経験から(1)
    • 2 新規大学院修了者の就職状況はどう変わったのか?
    • 3 大学院にかかわる指摘経験から(2)
    • 4 結論
  • 第3章 エリート教育はタブーなのか―大衆教育社会とエリート教育
    • 1 戦後エリート教育はタブーだったのか?
    • 2 ラルフ・ターナーの競争移動社会と庇護移動社会
    • 3 中流階層とメリトクラシー
    • 4 エリートの社会的周流―むすびに代えて
  • 第4章 大学・大学院の「学校化」は教育システムの危機か―初年次・少人数教育を考える
    • 1 大学院についての雑感
    • 2 いわゆる初年次教育について
    • 3 研究大学における初年次教育―もう一つの意味
    • 4 カレッジ・インパクト研究の可能性
    • 5 大学生の学力
    • 6 教養教育における初年次・少人数教育とは何か―むすびに代えて
  • 第5章 若者は就労をどう考えているのか:大学生の将来展望とキャリア ―溝上慎一先生(京都大学准教授)インタビュー