君の働き方に未来はあるか?

君の働き方に未来はあるか?

労働法の限界と、これからの雇用社会

「転職力」をキーワードとして、これからの雇用社会における、自分で将来の職業人生を切り開いていくことの必要性を説く。

  • 著者
  • 大内伸哉
  • 出版社
  • 光文社
  • 出版年月
  • 2014年01月
  • ISBN
  • 9784334037796

本書は、これから就職しようとする学生たち、あるいは、すでに就職しているがこれからどのような職業人生を歩んで行こうか悩んでいる人たちに向けて書いたものである。

日本社会には、「正社員信仰」がある。大学生もその親も「正社員」になることを、人生の大きな目標にあげている。しかし、いったい「正社員」とはどのような社員(労働者)なのか。「正社員」は、これからも「信仰」に値するものなのか。

本書の前半では、この疑問に答えるために、「正社員」といっても、雇用(本書では、雇傭)という一種の「奴隷」的な契約で働くことにすぎず、ときに言われる「社畜」という言葉は、あながち誇張とは言い切れないこと、ただ従来の「正社員」であれば、「奴隷」的な要素を十分に補うだけの優遇(長期雇用、安定した賃金、良質の教育訓練、福利厚生その他)があったこと、しかしこれからは「正社員」としての優遇措置を受けることができる労働者(真の意味の正社員)は徐々に減少していくことを順番に解説している。

一方、労働法は、正社員、非正社員に関係なく、雇用(雇傭)で働く者を従属状況から解放するために、さまざまな保護ルールを設けてきた。しかし、労働法による保護は、すでに飽和状態に近づきつつある。さらに、非正社員(有期雇用、パート雇用、派遣など)として働く人を保護する法律の近年の発展は、企業の人件費負担を高め、非正社員の雇用を減らしたり、あるいは正社員の労働条件の引下げ圧力となったりする危険性をはらんでいる。

労働法の力によって、労働者が幸福な職業人生を送れるようにするのは不可能に近い。これからの雇用社会で、「信仰」に値するような「正社員」の切符を手にできる者の数は限られていくだろう。幸福な職業人生を送るためには、「正社員」の切符を得ることを目標とするのは得策でない。企業に抱え込まれるのではなく、特定の企業にこだわらずに、自力で良好な仕事の機会を勝ち取るという戦略をもたなければならない。そのための最良の方法は、企業に必要とされる人材になることである。(起業も視野に入れながら)他の企業から求められて転職することをとおしたステップアップを戦略目標とすることが求められるのである。

本書の後半では、このようなステップアップしていくことができる能力を「転職力」と呼び、職業人生の目標を、そこに置くべきだと主張している。

「転職力」は、いまいる企業でも発揮できる。その企業において不可欠な人材となり、転職されたら困ると考えられれば、交渉力が高まり、処遇を改善できる原動力となる。終身雇用と結びついた従来型の「正社員」(真の意味の正社員)であれば、「転職力」は必ずしも必要ではない。企業の指示どおりにまじめに働くことが、企業内での出世のための必要十分条件である。しかしこのような働き方をしていると、もし途中でリストラされ企業から追い出されれば、たちまち路頭に迷うことになる。企業の指示どおりに働いてるだけでは、「転職力」は身につかない。「転職力」は、どの企業でも通用するような汎用的なスキルを身につけることによってしか、それを高めることができない。つまり、その職種におけるプロとなることが大切なのである。

IT技術の発展により、今後、企業において必要とされるスキルは大きく変わるだろう。これまで高く評価されていたスキルの価値が全くなくなってしまうことも十分あり得る。いまの若者は、自分の10年後、20年後、さらには30年後を見据えて、どのような分野でプロになっていくかを考えて将来設計を描き、自分でスキルアップのための手段を模索することが求められている。

以上のように、本書は、「転職力」をキーワードとして、これからの雇用社会では、法律に頼るのではなく(パターナリズムから脱却して)、自分で将来の職業人生を切り開いていくことが必要だと説いている。これからの雇用社会における政策のあり方について論じた拙著『雇用改革の真実』(日本経済新聞出版社)と本書が、多くの人にとって、これからの職業人生の設計図を描くための道しるべになればと願っている。

法学研究科・教授 大内伸哉


目次

  • 第1章 雇用の本質
  • 第2章 正社員の解体
  • 第3章 ブラック企業への真の対策
  • 第4章 これからの労働法
  • 第5章 イタリア的な働き方の本質
  • 第6章 プロとして働くとは?
  • 第7章 IT社会における労働
  • 終章 パターナリズムを越えて